《制覇》第7回 全国消防職員剣道大会
令和元年12月12日(木)
君津市消防本部剣道部の後輩達が、永年の目標であった、消防職員剣道全国大会を初制覇した。
同主将で大将を務める熊谷光宏先生は、46歳になるが、現役選手として、20、30代の選手と対戦している。
年齢的に考えれば、自分からは、想像もできない、強靭な体力と精神力である。
世界で活躍された、年齢の差を超えて、野球のイチロー選手やスキーの葛西選手が活躍されている。
自分は、木更津中央高校を卒業して、28歳の時から35歳まで、同高校の後輩である熊谷先生とは、様々な団体戦の選手として、全国官公庁剣道大会等、共に過ごした選手仲間である。また、他の選手も千葉県市町村職員剣道大会に参加している仲間である。
自分が、36歳の4月から清和大学に社会人学生となるため、実質、剣道の第一線の選手から、身を引く事となった。
自分としては、満足する成果であったように思い、年齢的には後輩に譲り、若い世代と対戦するには、体力、精神力共に追いつかないと思っていた。
悔いが残るとすれば、団体戦の選手として、千葉県代表を決める強化選手の個人戦にて、同代表の座をもぎ取る事が出来なかったことである。
複数回の予選を掛けた練習試合により、最終決定戦は、県警本部の特練が日頃稽古されている、道場にて実業団の方と自分の二人に絞られた。
試合は、一試合のみである。
千葉県代表になった場合の事が、頭の中によぎった『大学も出ていない、自分が代表になって良いのか、他の千葉県代表の選手達は、全国的に有名な選手ばかりで、大学でも活躍されている。その選手達と行動を共に過ごすこてなり、剣道の話題が自分にできるのか、浮いてしまうのではないか、千葉県代表としては、自分では、恥ずかしいのではないか。』と先行して考えて、しまった。
試合に集中できず、一番大事な気持ちで負けてしまった。
千葉県代表選手には、なれなかった。
自分のチャンスは、この一度切りであった。
数年間の予選の個人戦でも、優勝することは、出来なかった。
その十数年後には、同級生の高山先生が、国体に千葉県代表選手として、出場され、大変素晴らしい事であり、身近な存在のご活躍に胸が熱くなった。
全国消防職員剣道大会に向けて、野間会に複数回、剣道部の職員が、稽古に参加されていた。稽古を重ねる中で、今回、君津市消防本部が、初優勝する気がしていたため、職場に休暇願いを申請した。
熊谷先生には、内緒で全国大会の応援に向かった。
君津消防本部の応援には、数十年前に千葉県消防職員大会以来であり、同剣道部の人数も、選手層も厚くなった。
君津市消防本部の職員の皆さんが、消防職員ではない自分を『わざわざ、仕事の休暇を取って、お金を使い、遠方まで応援に来て下さり、有難う御座います。』激励してくれた。
君津消防本部が対戦された、強敵である、八女消防の気迫は、素晴らしいものであった。
複数年、全国官公庁大会でも、東京消防庁は同じリーグではなく、間近で試合を見た事が無かったが、選手として活躍される重圧と普段の稽古量から繰り出さられる、他を圧倒する気迫に満ち溢れており、自分にとっても勉強になった。
決勝戦にて、東京消防庁と対戦し、熊谷先生が、大将戦を引き分けて、君津消防本部の初優勝が決定した。
自分は、共に稽古し、試合に出た仲間、高校大学の後輩達が、成し遂げた消防職員大会の全国制覇を目の前で観る事が出来て、感無量であり、自分の事のように嬉しかった。
金綱選手、山本選手、須藤選手、大野選手、熊谷選手、君津消防本部剣道部の皆さん、優勝おめでとうございました。
新たな目標に向かって、邁進して下さい。
令和2年2月19日(水)
野間会から熊谷先生に全国制覇による『胴』の記念品を贈呈した。
胴の製作は、織本先生から、木更津武道に依頼し、野間会の選手胴と同じ、胸、胴台とした。
熊谷先生の試合中の面を付ける普段の所作と熊谷スマイルに注目されたい。
普段からの所作や人の笑顔は、いつでも美しい。
自分も、普段からの所作、立ち振る舞いに気をつけて、誰に接するにも笑顔でありたいと思います。