野間館の発足

  野間館は、講談社の創業者である野間清治先生が、飯野藩 剣道師範 森要蔵氏(千葉周作氏門下の四天王と謳われた剣豪)の娘ふゆ氏と飯野藩士 野間銀次郎氏の弟好雄氏とのご子息であったことから、野間清治先生の私財により、剣道場(「野間館」:旧飯野農協倉庫の場所)及び剣道防具を寄贈して頂き、昭和10年4月21日に落成祝賀剣道大会(野間清治先生、ご子息野間恒氏:昭和9年5月4.5日皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会優勝、他150名程の方が出席された。)を開催されました。
   昭和11年12月28日、森寅雄氏(天覧武道大会の東京都予選決勝戦にて、野間恒氏に敗れた。その後、渡米し、タイガー・モリと異名をとった名選手であり、アメリカ剣道連盟創設、同会長、ロサンゼルスにノマ道場を作り、剣道、フェンシングの普及に努め、剣道世界選手権開催に御尽力された。)が野間館を訪れて、防具10組を寄贈して頂きました。
   当時、貧困の最中でも、嘗ては武道が盛んな地域の方々の剣道が普及できるようにとの御厚意により、発足致しました。
   その後、昭和20年8月第二次世界大戦終戦となり、同年11月から剣道が禁止されていましたが、昭和37年4月に野間館で、小学生の時に指導を受けいた方々により、蒲鉾道場(旧飯野小学校講堂)にて「野間会」という名称にて、剣友会(初代会長:山田 昇)の新たなスタートを切りました。
   前身である「野間館」道場正面に野間清司先生直筆の額『龍  潜  渕』が飾られておりましたが、現在は、富津中学校の武道場に飾られています。
   この『龍  潜  渕』が保存されていたことにより、講談社野間清治先生との由縁が認められて、剣道交流のため、旧野間道場(東京都文京区)に野間館で指導を受けられていた方々と共に出稽古に行かせて頂きました。
    おかげさまで、卒業生が全日本剣道選手権大会、全国中学剣道大会、全国高等学校剣道大会(インターハイ)等にも出場し、また、八段審査に合格するなど、沢山の選手を輩出して参りました。
    今後も野間清治先生の志を大事にし、剣道を通じて、青少年の健全育成、人間形成に役立てるように、心あるご指導をさせていただきます。

《野間会ホームページ 再掲》

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