剣道七段昇段祝い 製作胴、剣道着

 自分の七段昇段祝いに製作胴と剣道着を戴きました。

 小学時から剣道で大変お世話になっています、吉本充先生、鈴木宣夫先生及び御子息、元富津市役所から出向されて二年間一緒に仕事をさせて頂きました、都倉康宏さんから木更津市 武道さんの製作胴を戴きました。

 また、木更津総合高校剣道部 雲龍館OB会より、同武道さんの剣道着を戴きました。

 常に皆様方に支えられて、此処まで来られて感謝申し上げます。

 今後も精進致します。

 

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千葉大学医学部付属病院 ちば医経塾の講義にて

 本日、ちば医経塾第三期生の講師を務めさせて頂きました。

 私も昨年度に第二期生として、10か月間受講させて頂きまして、大変お世話になりました。

 本日は、講師として1時間30分の講義でしたが、時間が短くあっという間に、修了となりましました。

 なお、新型コロナウィルスの蔓延により、初めてのwebでの講師となり、戸惑いもありましたが、自分にとっても貴重な経験となり、大変勉強になりました。

 なお、受講生の皆様方から、興味を持って視聴して頂き、沢山のご質疑を頂戴しまして、感謝申し上げます。

 本日は、ご視聴頂き有難う御座いました。

ちなみに本日は、受講生の方々に驚かれてしまうといけないので剣道着ではありませんでした。

2020年8月2日

パッション黒木

 

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旧:千葉 弘武堂(剣道具)

 私は、小学校四年時に富津小学校から飯野小学校に転校しました。

 転校してから、幸いな事に飯野地区にある野間会にて剣道を始めることができました。

 その後、富津中学校の剣道部に所属し、二年時に主将を任されてからというもの本格的に剣道に取り憑かれました。

 小学校四年生時から使用していた、近所のスポーツ店で購入した防具でしたが、試合にも出られるようになり、防具が欲しかったのですが、家が貧しく、親に対して言い出せませんでした。

 掲載写真の旧:千葉 弘武堂さんに自分で電話をして、金額を確認したところ、中学生の防具一式で18万円するとの事でした。

 防具一式では高いので、せめて面や胴だけの一部だけでも欲しいと思っており、父親に相談しましたが、やはり買って貰えませんでした。

 当時の防具は、現在と違い防具一式はとても高く手が出ませんでした。

 数か月経ったある日曜日、午前の部活が終わり帰宅すると、母親から『自分で弘武堂さんに電話して、ローンを組めるか、聞いてみて。』と言われて、恐る恐る電話すると、ローンも組めるとの事でした。

 母親は、『今から、直ぐに千葉市に行くよ。

行き方がよく分からないないから聞いてみて』と言われて、電車での行き方を聞き、急いで、弘武堂さんに向かいました。

 当時、母親はモンチッチ(猿のぬいぐるみ)の内職をしており、あまり収入は無かったのですが、母親の手には、内職収入で得れる農協の通帳と判子を握りしめて、弘武堂さんに向かいました。

 電車で千葉駅から徒歩で千葉城方面に歩くと、初めて見る弘武堂さんは、剣道具専門の由緒あるようなたたずまいでした。

 母親に毎月5000円で、4年弱のローンを組んで、防具一式を購入して貰いました。

 帰りに千葉駅構内で母親と食べた、ナポリタンの味と母親の嬉しそうな笑顔で、『お父さんには、防具買ったことは、怒られるから内緒だよ。』と言いました。

 何十年経った今でも、自分の頭の中では映画のワンシーンのように映像で動き出し、未だに忘れる事ができません。

 その防具は、木更津中央高校に入学しても、社会人になっても修理を何度も繰り返して使用しておりましたが、さすが修理ができなくなりました。

 未だに剣道を続けて来られた事も、自分を支えてくれている、母親の思いがあったからのように思います。

 現在、防具の価格は、手頃な価格で入手できるようになり、有難い事だと思っております。

 まだ、世の働いていない子供達は、世の中が便利で豊かになると共に、様々な物を手軽に入手できるようになりました。

 有難い事であると同時に、忘れてはいけない事があると思っています。

 それは、当たり前ですが『物を大切にすること。感謝すること。仮に親に買って貰えないような高くて、欲しい物があったら、今は、我慢していつか、自分の力で働いて、自分の稼ぎ欲しい物を得る。』と言う事かなと思っております。

 昨年度、千葉大学医学部付属病院に通っていた際、その初日にバスの中から、この返りは懐かしいなと思いながら、中学の時以来となりましたが、弘武堂さんの建物を見た際に、当時の思い出が蘇り、声と涙が出そうになりました。

 現在の弘武堂さんは、経営者が変わり、移転されて経営されています。

 ちなみに、いつもお世話になっている木更津 武道さんの社長は、旧:弘武堂さんの経営者の方と共に防具製作の修行をされていたそうです。

 世の中が、新型コロナウィルスが蔓延して、ブログを一旦停止しておりましたが、有難い事に読んで頂いていた方々からブログを再開して欲しいとコメントを頂戴いたしましたので、ブログを更新できればと思っております。

 新型コロナウィルスの終息を願います。

2020年8月2日 黒木淳一

 

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野間館の発足

  野間館は、講談社の創業者である野間清治先生が、飯野藩 剣道師範 森要蔵氏(千葉周作氏門下の四天王と謳われた剣豪)の娘ふゆ氏と飯野藩士 野間銀次郎氏の弟好雄氏とのご子息であったことから、野間清治先生の私財により、剣道場(「野間館」:旧飯野農協倉庫の場所)及び剣道防具を寄贈して頂き、昭和10年4月21日に落成祝賀剣道大会(野間清治先生、ご子息野間恒氏:昭和9年5月4.5日皇太子殿下御誕生奉祝天覧武道大会優勝、他150名程の方が出席された。)を開催されました。
   昭和11年12月28日、森寅雄氏(天覧武道大会の東京都予選決勝戦にて、野間恒氏に敗れた。その後、渡米し、タイガー・モリと異名をとった名選手であり、アメリカ剣道連盟創設、同会長、ロサンゼルスにノマ道場を作り、剣道、フェンシングの普及に努め、剣道世界選手権開催に御尽力された。)が野間館を訪れて、防具10組を寄贈して頂きました。
   当時、貧困の最中でも、嘗ては武道が盛んな地域の方々の剣道が普及できるようにとの御厚意により、発足致しました。
   その後、昭和20年8月第二次世界大戦終戦となり、同年11月から剣道が禁止されていましたが、昭和37年4月に野間館で、小学生の時に指導を受けいた方々により、蒲鉾道場(旧飯野小学校講堂)にて「野間会」という名称にて、剣友会(初代会長:山田 昇)の新たなスタートを切りました。
   前身である「野間館」道場正面に野間清司先生直筆の額『龍  潜  渕』が飾られておりましたが、現在は、富津中学校の武道場に飾られています。
   この『龍  潜  渕』が保存されていたことにより、講談社野間清治先生との由縁が認められて、剣道交流のため、旧野間道場(東京都文京区)に野間館で指導を受けられていた方々と共に出稽古に行かせて頂きました。
    おかげさまで、卒業生が全日本剣道選手権大会、全国中学剣道大会、全国高等学校剣道大会(インターハイ)等にも出場し、また、八段審査に合格するなど、沢山の選手を輩出して参りました。
    今後も野間清治先生の志を大事にし、剣道を通じて、青少年の健全育成、人間形成に役立てるように、心あるご指導をさせていただきます。

《野間会ホームページ 再掲》

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《制覇》第7回 全国消防職員剣道大会

 令和元年12月12日(木)

  君津市消防本部剣道部の後輩達が、永年の目標であった、消防職員剣道全国大会を初制覇した。

 同主将で大将を務める熊谷光宏先生は、46歳になるが、現役選手として、20、30代の選手と対戦している。

 年齢的に考えれば、自分からは、想像もできない、強靭な体力と精神力である。

 世界で活躍された、年齢の差を超えて、野球のイチロー選手やスキーの葛西選手が活躍されている。

 

 自分は、木更津中央高校を卒業して、28歳の時から35歳まで、同高校の後輩である熊谷先生とは、様々な団体戦の選手として、全国官公庁剣道大会等、共に過ごした選手仲間である。また、他の選手も千葉県市町村職員剣道大会に参加している仲間である。

 

 自分が、36歳の4月から清和大学に社会人学生となるため、実質、剣道の第一線の選手から、身を引く事となった。

 自分としては、満足する成果であったように思い、年齢的には後輩に譲り、若い世代と対戦するには、体力、精神力共に追いつかないと思っていた。

 悔いが残るとすれば、団体戦の選手として、千葉県代表を決める強化選手の個人戦にて、同代表の座をもぎ取る事が出来なかったことである。

 複数回の予選を掛けた練習試合により、最終決定戦は、県警本部の特練が日頃稽古されている、道場にて実業団の方と自分の二人に絞られた。

試合は、一試合のみである。

 千葉県代表になった場合の事が、頭の中によぎった『大学も出ていない、自分が代表になって良いのか、他の千葉県代表の選手達は、全国的に有名な選手ばかりで、大学でも活躍されている。その選手達と行動を共に過ごすこてなり、剣道の話題が自分にできるのか、浮いてしまうのではないか、千葉県代表としては、自分では、恥ずかしいのではないか。』と先行して考えて、しまった。

 試合に集中できず、一番大事な気持ちで負けてしまった。

千葉県代表選手には、なれなかった。

 自分のチャンスは、この一度切りであった。

数年間の予選の個人戦でも、優勝することは、出来なかった。

 その十数年後には、同級生の高山先生が、国体に千葉県代表選手として、出場され、大変素晴らしい事であり、身近な存在のご活躍に胸が熱くなった。

 

 全国消防職員剣道大会に向けて、野間会に複数回、剣道部の職員が、稽古に参加されていた。稽古を重ねる中で、今回、君津市消防本部が、初優勝する気がしていたため、職場に休暇願いを申請した。

 熊谷先生には、内緒で全国大会の応援に向かった。

 君津消防本部の応援には、数十年前に千葉県消防職員大会以来であり、同剣道部の人数も、選手層も厚くなった。

 君津市消防本部の職員の皆さんが、消防職員ではない自分を『わざわざ、仕事の休暇を取って、お金を使い、遠方まで応援に来て下さり、有難う御座います。』激励してくれた。

 君津消防本部が対戦された、強敵である、八女消防の気迫は、素晴らしいものであった。

 複数年、全国官公庁大会でも、東京消防庁は同じリーグではなく、間近で試合を見た事が無かったが、選手として活躍される重圧と普段の稽古量から繰り出さられる、他を圧倒する気迫に満ち溢れており、自分にとっても勉強になった。

 決勝戦にて、東京消防庁と対戦し、熊谷先生が、大将戦を引き分けて、君津消防本部の初優勝が決定した。

 自分は、共に稽古し、試合に出た仲間、高校大学の後輩達が、成し遂げた消防職員大会の全国制覇を目の前で観る事が出来て、感無量であり、自分の事のように嬉しかった。

金綱選手、山本選手、須藤選手、大野選手、熊谷選手、君津消防本部剣道部の皆さん、優勝おめでとうございました。

 新たな目標に向かって、邁進して下さい。

 

 令和2年2月19日(水)

 野間会から熊谷先生に全国制覇による『胴』の記念品を贈呈した。

 胴の製作は、織本先生から、木更津武道に依頼し、野間会の選手胴と同じ、胸、胴台とした。

 熊谷先生の試合中の面を付ける普段の所作と熊谷スマイルに注目されたい。

普段からの所作や人の笑顔は、いつでも美しい。

自分も、普段からの所作、立ち振る舞いに気をつけて、誰に接するにも笑顔でありたいと思います。

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君津木更津剣道連盟 昇段祝い(忘年会)

令和元年12月7日(土)

東京ベイプラザホテル木更津

 

剣道を始めてから所属させて頂いております、君津木更津剣道連盟の昇段祝いをして頂きました。

同剣道連盟は、昼も夜の稽古も和気藹々です。

感謝致します。🌸

 

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剣道七段への挑戦

令和元年11月27日(水)

エスフォルタアリーナ八王子

 

五度目の挑戦で、ようやく七段審査に合格することができました。

師匠の朝生先生の古希祝い会の際、朝生先生から、『お前は、何回受けているんだ、さっさと合格しろ❗️』との有難いお言葉を賜りました。

そのおかげで、弱い気持ちに闘志が漲り、合格することができました。

受審に際し、長年に渡り、稽古をつけて頂きました、君津剣道連盟の先生、先輩、後輩の皆様、誠に有難う御座いました。

感謝致します。

 

写真は、息子からの応援メッセージです📣

 

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