旧:千葉 弘武堂(剣道具)

 私は、小学校四年時に富津小学校から飯野小学校に転校しました。

 転校してから、幸いな事に飯野地区にある野間会にて剣道を始めることができました。

 その後、富津中学校の剣道部に所属し、二年時に主将を任されてからというもの本格的に剣道に取り憑かれました。

 小学校四年生時から使用していた、近所のスポーツ店で購入した防具でしたが、試合にも出られるようになり、防具が欲しかったのですが、家が貧しく、親に対して言い出せませんでした。

 掲載写真の旧:千葉 弘武堂さんに自分で電話をして、金額を確認したところ、中学生の防具一式で18万円するとの事でした。

 防具一式では高いので、せめて面や胴だけの一部だけでも欲しいと思っており、父親に相談しましたが、やはり買って貰えませんでした。

 当時の防具は、現在と違い防具一式はとても高く手が出ませんでした。

 数か月経ったある日曜日、午前の部活が終わり帰宅すると、母親から『自分で弘武堂さんに電話して、ローンを組めるか、聞いてみて。』と言われて、恐る恐る電話すると、ローンも組めるとの事でした。

 母親は、『今から、直ぐに千葉市に行くよ。

行き方がよく分からないないから聞いてみて』と言われて、電車での行き方を聞き、急いで、弘武堂さんに向かいました。

 当時、母親はモンチッチ(猿のぬいぐるみ)の内職をしており、あまり収入は無かったのですが、母親の手には、内職収入で得れる農協の通帳と判子を握りしめて、弘武堂さんに向かいました。

 電車で千葉駅から徒歩で千葉城方面に歩くと、初めて見る弘武堂さんは、剣道具専門の由緒あるようなたたずまいでした。

 母親に毎月5000円で、4年弱のローンを組んで、防具一式を購入して貰いました。

 帰りに千葉駅構内で母親と食べた、ナポリタンの味と母親の嬉しそうな笑顔で、『お父さんには、防具買ったことは、怒られるから内緒だよ。』と言いました。

 何十年経った今でも、自分の頭の中では映画のワンシーンのように映像で動き出し、未だに忘れる事ができません。

 その防具は、木更津中央高校に入学しても、社会人になっても修理を何度も繰り返して使用しておりましたが、さすが修理ができなくなりました。

 未だに剣道を続けて来られた事も、自分を支えてくれている、母親の思いがあったからのように思います。

 現在、防具の価格は、手頃な価格で入手できるようになり、有難い事だと思っております。

 まだ、世の働いていない子供達は、世の中が便利で豊かになると共に、様々な物を手軽に入手できるようになりました。

 有難い事であると同時に、忘れてはいけない事があると思っています。

 それは、当たり前ですが『物を大切にすること。感謝すること。仮に親に買って貰えないような高くて、欲しい物があったら、今は、我慢していつか、自分の力で働いて、自分の稼ぎ欲しい物を得る。』と言う事かなと思っております。

 昨年度、千葉大学医学部付属病院に通っていた際、その初日にバスの中から、この返りは懐かしいなと思いながら、中学の時以来となりましたが、弘武堂さんの建物を見た際に、当時の思い出が蘇り、声と涙が出そうになりました。

 現在の弘武堂さんは、経営者が変わり、移転されて経営されています。

 ちなみに、いつもお世話になっている木更津 武道さんの社長は、旧:弘武堂さんの経営者の方と共に防具製作の修行をされていたそうです。

 世の中が、新型コロナウィルスが蔓延して、ブログを一旦停止しておりましたが、有難い事に読んで頂いていた方々からブログを再開して欲しいとコメントを頂戴いたしましたので、ブログを更新できればと思っております。

 新型コロナウィルスの終息を願います。

2020年8月2日 黒木淳一

 

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